HISTORICAL-SE05:佐竹から徳川へ~先人たちの愛した土地
平安の昔に常陸太田を拠点として茨城県北地域を割拠した佐竹氏は、時代ごとの中央政府の動向に巻き込まれながらも、江戸時代が始まるまでの約500年という長きにわたって、県北地域でその勢力を保ち続けました。SE-44大門城址をはじめ、常陸太田には佐竹氏が関係する遺構が数多く残されています。
全国3位の産出量と言われた金鉱山を領内に擁し、軍馬を産出し米の生産も盛んな、実に恵まれた土地において、戦国時代の佐竹氏は54万石という存在感の大きな大名になっていましたが、関ケ原の戦いでの中立姿勢が問題視され、秋田へと国替えを命じられ茨城県北を去りました。
その後は江戸近くの要地として、徳川直系の水戸藩が置かれ、二代藩主徳川光圀は特に県北地域を強く意識していたようです。国見山の南麓直下に築かれた墓所などを見ても、佐竹氏に対する徳川家の強い思いが、今もこの地から伝わってきます。
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